2009年11月29日日曜日

圧倒的空間量

栃木県の大谷にある大谷石採掘跡を展示した大谷資料館を見てきた。

この地下空間は圧巻。どこまでも深く深く。

誰が設計したんだろう。あるいは設計なんてなくて場当たり的に掘ったのだろうか。

でも、場当たり的にしてはカッコ良すぎる。
このトップライトのようなものは地上から地下の位置を把握するためにあけれたものだそう。
回転しながら天空まで伸びている!
無造作に穿かれた穴が絶妙な演出をする。まるで現代アートのよう。
これだけ随所にキメがある空間もなかなかない。

その後、近くにある隈研吾設計のちょっ蔵広場へ
大谷石を使ったいわゆる組石造とは違い、ピースどうしの間に薄い鉄板が仕込まれているためスパンを飛ばすことができる。

中に入っていたカフェ。


大谷資料館は日によって演奏会をやったり企画展示をやったりするそうでそれも見てみたい。

必ずまた来よう。

2009年11月24日火曜日

形式ではないもの

午前中、展示室計画の打ち合わせ。
全体の日程が決まり、いよいよ年内に発注をとることに。急がねば。


午後、設計製図第4の第2課題の講師として若手建築家の長谷川豪氏がいらしてレクチャー。
やはり塚本研らしく、住宅のリテラシーを持っている方という印象が強い。

3つのキーワードを掲げているのがおもしろい。

1.住宅を大きな環境としてつくる。
2.誰のものでもない空間。
3.形式を働きにする。


1つ目は配置で答えを出す西沢さんの考えが大きいのか。2つ目は都市の中に住宅を位置づける塚本さんだろうか。
3つ目も塚本さんぽいのだが、本人の興味がいわゆる形式からずれてきているのが興味深かった。


最近ではもう少し建築のレトリックの中に形式を見いだそうとしているように思える。
例えば、単に吹き抜けの空間の積層なんて構成自体は当たり前なんだけど、吹抜けのエッジが丸っこくなっているだけで不思議なカンジとか。
それは窓や壁というような建築言語を信用しつつ疑ってると言えるのかもしれない。
そこにリテラシーを感じる反面、流行りっぽくもありややギモン。


その後時間があったので、大学のそばにあった長坂さんのリノベを見に行く。


マルジェラのように白いペンキを塗りたくった外観はインパクトがあってオシャレ。


大きな開口から構造的な補強(?)の厚い壁が見えて既存のいわゆる住宅っぽさが丁寧にずらされている。
普通なんだけど普通じゃない。当たり前か。。
基壇とヴォリュームのカンジもいい。

でも形式以外の部分に可能性を見いだすという意味で長谷川さんに繋がっておもしろい。



こないだ友人の結婚式の2次会でスーツをスパイラルに忘れてきてしまった。。
どうしてオレってこうなんだろうとつぶやきながらも、渋谷にいくついでにギャラ間によって隈研吾展を見に行く。
こちらは模型の迫力はあったが、逆に今日の2人と対照的に形態やそれを支える形式が浮き彫りになる。

どちらがいいということではもちろんなくて、それぞれにそれぞれの危険は含んでいるけど極端なのが印象的だった。


個人的には方法論としての形式よりは、建築そのものを形作ってきた建築言語にまだ何かあるんじゃないかという期待がある。

2009年11月22日日曜日

人のセックスを笑うな

本で読んだことあったけど、200円だったから借りてみた。
そしたら本より全然よかった。


永作博美、良すぎやし。


人生なんてこんなもんだ、ね。

2009年11月19日木曜日

論文の季節

今年も論文の季節がやってきました。

去年は研究室でインスタントカレーばかり食べてたなあ

今年はヘルプなので去年とは気持ちが全然違いますが、この時期になると気がピリッとしますね。



ちなみに僕は「戦後の小住宅」に関する研究をしていました。

今でも大好きだけど、戦後の住宅はカッコイイ。
特に平屋にはやられた。


平屋を可能性に入れるとそれだけで世界が広がります。

2009年11月15日日曜日

師走

ふとしたことで道は開ける。



元来マイペースな性格だけど、誰にだってタイムリミットはある。


走って、走って、走ってやる。

2009年11月11日水曜日

やれやれ

時々、自分自身に心からうんざりする。

もう寝よう。午前3時、、

2009年11月8日日曜日

ビルバオから東京を考える

大学で建築を専攻する以前に情報科学というものを専攻してました。情報科学もおもしろい分野だったのですが、大学2年の頃、ふと出会った一冊の本に魅せられて建築の世界に足を踏み入れることを決心しました。

それは建築家、安藤忠雄さんの『建築を語る』という本でした。そこには社会の中で建築を成立させることの大変さやそれに伴う困難、心の葛藤などが描かれていました。しかし、だからこそ得られる喜びについても書かれていて、こんなに素晴らしい世界はないと感じました。


それから大学に再入学するという形で建築を学び始め、設計することの楽しさに没頭する毎日を過ごしました。しかしある時、設計のゴールが何なのかが漠然と分からなくなった時期がありました。確かに設計課題はもともとアンビルトですから実感が湧きにくいのは事実なのですが、それ以前に雑誌に載っている現代建築を見てみてもいまいちピンとこない。建築家の言説もまやかしのようにしか聞こえない。形ではなく、何のために建つのかが見えにくくなってきたように思えました。


そのようにして、建築が建つ背景や枠組みの方に関心を持つようになりました。そこで出会ったのが東京大学で開催された「都市空間の持続再生学(SSD)」というシンポジウムでした。それは世界の都市再生事例を100個集め、編集し直すという試みのものでした。そこで最も気になったのがスペインのビルバオにおけるグッゲンハイム美術館(フランク・O・ゲーリー設計)でした。確かにこの建築はインパクトがあるし、初めて見た時は何か新しい建築の時代の到来を予感しました。しかし、知れば知る程この奇抜なデザインの建築が意味するものが理解できなくなっていったのです。


もともとビルバオという街は鉱工業で栄えた街でしたが、1970年代以降の重工業の衰退とともに疲弊し、環境問題と失業問題という2つの課題を抱えていました。そしてネルビオン川沿いは市街地と隣接していながらも、かつての鉄道操車場跡地が残る「都市の裏側」でした。

ビルバオの手法はここに非常にインパクトのある美術館を設計し、アクセスの少なかった川に橋を架け、歩行者空間を拡充し、市民生活の中心軸とするやり方でした。さらに、トラムを延長させ、パプリックアートを配しました。このように実に多様な仕掛けで、一つの場所がゆっくりと意味を持ち始めたのです。今では川沿いにオフィスや住宅、商業施設などが集まり、この効果は「ビルバオエフェクト」と呼ばれるほどです。


東京とビルバオではその質や背景は異なりますし、必ずしもビルバオの手法が適切だとは思いません。しかし、建築を一つの軸足として都市を良くしていこうという態度は何も建築家だけではなく、行政や市民も同じ気持ちなのではないかと思います。そして同時に一つの場所をデザインするには無数の人の努力と知恵を要することを知りました。

そういう気持ちを大事にこれからの都市の在り方を考えて行こうと思っています。